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2010年民主党代表選挙当日 小沢一郎氏の決意表明 お集まりの皆様、そして国民の皆様、小沢一郎でございます。皆様には今回の代表選の期間中、菅(直人)総理と私の主張をお聞きいただき、また、激励していただきました。ここに、まずもって心からお礼を申しあげます。 また、昨年来、私自身にかかわることで、同志の皆様を始め、国民の皆様に大変、ご心配とご迷惑をおかけしたことを、この機会に心からおわび申しあげます。 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹(あんたん)たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一(いち)縷(る)の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。 私は40(歳)代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。 また私は、国民健康保険、介護、生活保護などに対する補助金、15兆円を社会保障関係費として、一括地方に交付します。これにより各地方の実情に合わせて、また地方の知恵を生かして、より効率的な福祉行政が行える仕組みに改めます。われわれに期待されているのは、いびつになってしまったこの国の形と日本人の生活をもう一度蘇らせる大改革なのであります。 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。 政府・与党の政策の一元化のもと、改革を実行するのが民主党です。政府が作成した法案に、後から与党議員が意見をいう、自民党と同じような事前審査の仕組みではありません。私は政府と与党の議員、誰もが対等に話し合って、政策を一から作り上げる、全員野球の態勢を積極的に進めたいと考えております。 また外交政策においては、日米関係は、わが国にとり最も重要な二国間関係と考えております。日中、日韓関係は、日米関係に次いで重要な二国間関係であり、長い歴史を踏まえ、今後、政治、経済、文化とあらゆる分野で協力関係を深めていかなければなりません。 特に拉致問題については、みずから対策本部長として全力で取り組みます。国際関係はまず市民の心の交流こそが必要であるとの認識のもと、実際私は長年にわたり、草の根交流を続けております。さらには日中韓3カ国の協力のもとで、環太平洋諸国も含む東アジア共同体を推進したいと考えております。 また農業、漁業の戸別所得補償制度の充実を前提として、EPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)を始め、広域的な経済連携も積極的に推進いたします。 景気対策とデフレ克服にも最優先で取り組まなければなりません。日銀法改正などの制度改革や、インフレターゲット政策も視野に入れるなど、金融政策と財政政策の両面からあらゆる手段を講じます。 また、人と人との新たなきずな作りにも取り組みます。民主党として新しい公共の考えを積極的に届け出、NGO(非政府組織)やNPO(民間非営利団体)をはじめ、ボランティアや企業の社会貢献活動を積極支援するとともに、政府の持つ情報もできる限り開示いたします。 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います。 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。 http://blog.livedoor.jp/amaki_fan/archives/51897286.html より転載 #
by rena6180
| 2010-09-16 23:13
| まつりごと
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田中角栄氏に関しての連続ツイート 昨日深夜の田中角栄氏についての連続ツイートを、ここにまとめて掲載します。 茂木健一郎 金曜またぎの深夜でもあるし、帰って来ながらいろいろ考えたので、いつもは朝やる連続ツイートを、もう少ししたらやりたいと思います。 角栄(1)あれは数年前だったか、学生たちとカラオケをしている時に、「まあ、その〜国民のみなさまにはですね、まあ、その〜」と田中角栄のものまねをしたら、誰もわからなかった。昭和を象徴するあの人のダミ声を知らない世代が生まれてきているのだと知り、ショックだった。 角栄(2)その頃から、なぜか、田中角栄さんのことが気になった。最近になって、いろいろな意味で田中さんと比較される小沢一郎さんについての、マスコミの報道ぶりを見ていて、なぜ角栄さんのことが気になっていたのか、わかった気がする。角栄さんは、私たち日本人にとって、一つの「宿題」なのだ。 角栄(3)田中角栄さんは、高等小学校と中央工学校を卒業という決してエリートとは言えない出自の中、持ち前の強靱な知性と驚くべきバイタリティで、ついには総理大臣まで上り詰めた。支持率も高く、マスコミは「今太閤」と褒め称えた。 角栄(4)「コンピュータ付きブルドーザー」と評された頭の回転の速さと、エネルギー。人心を掌握する術にもたけていた田中角栄さんが、卓越した人物であったことを疑う人はいないだろう 角栄(5)田中角栄さんの最大の功績は、日中国交正常化を成し遂げたことだった。ニクソンの電撃的訪中によって、日本が「ジャパン・ナッシング」になる危険を察知した角栄さんは、総理大臣として驚くべきスピードで調整し、いろいろと障害のあった日中の国交正常化を成し遂げた。 角栄(6)その驚異的な頭の回転は、幾つもの伝説を読んでいる。大蔵大臣に就任した時、大臣室に来た官僚たち一人ひとりの名前を、フルネームで呼んで、居並ぶひとたちを感激させたという。 角栄(7)政治家にとって、他人の名前を覚えるのは大事な能力うっかり誰かの名前を忘れてしまうと、角栄さんは、握手をしながら、「君の名前はなんだっけ?」と聞き、「鈴木です」と答えると、「名字はわかっているよ。下の名前はなんだっけ?」と相手を傷つけずに聞き出したのだという。 角栄(8)「日本列島改造論」などで、狂乱物価を引き起こしたと批判された田中角栄さんだが、その旺盛な活動の背後には、故郷の新潟の貧しさに対する深い思いがあった。何とか、冬は豪雪に覆われる地域の人々の生活を向上させたいと願ったのである。 角栄(9)「今太閤」とたたえられた田中角栄さんの運命が暗転したのは、マスコミが「田中金脈」批判のキャンペーンを張ったことだった。集中豪雨的な批判記事の圧力の下、角栄さんは総理大臣を辞した。 角栄(10)辞任の翌年、米国の上院における証言から、「ロッキード事件」が発覚する。「総理の犯罪」を追求するマスコミの嵐のような記事。角栄さんは、逮捕され、一審で実刑判決を受ける。 角栄(11)逮捕、起訴後も、角栄さんは自民党内で力を持ち続けた。そんな角栄さんに、マスコミは「闇将軍」というレッテルを張った。やがて、角栄さんは病に倒れ、その影響力は次第に低下していく。 角栄(12)最高裁に上告中、角栄さんは帰らぬ人となる。その刑事責任は、結局確定しないまま、公訴は消滅することとなった。 角栄(13)田中金脈追及からロッキード事件発覚にかけて、私は小学生から中学生だった。当時の私は、マスコミの記事、報道をそのまま信じて、田中角栄という人は悪いひとだ、「よっしゃ、よっしゃ」といって賄賂を受け取った、その後も「闇将軍」として居残り続けていると思っていた。 角栄(14)その一方で、人間としての田中角栄という人を、どうしても憎む気にはなれなかった。その頃、『わたくしの少年時代』という自伝を読んだことがある。そこから伝わってくるのは、あくまでも真っ直ぐな、情熱に満ちた人柄だった。 角栄(15)それでも、長い間、「総理の犯罪」「田中金脈」「闇将軍」というレッテルから、私の思考は自由にならなかった。田中角栄さんのことが気になり始めたのは、今年になって、日本の良識ある人々の中で、検察や、マスコミの「正義」に対する不信感が本格的に頭をもたげてからのことである。 角栄(16)マスコミは「政治とカネ」と一つ覚えのように言う。統計的に考えて、その悪弊はさまざまな政党のさまざまな人たちにポアソン分布で生じるだろう。それなのに、なぜ、政権交代を果たしたばかりの政党の代表と幹事長だけが狙い撃ちされるのか、まずここでおかしいと思った。 角栄(17)マスコミや検察の「正義」が絶対的なものではないということは、成熟した民主主義の下では当たり前のことだろう。ところが、「有罪率が100%近い」という近代国家ではあり得ない事態の下、日本人は、長らく、マスコミと検察は絶対正義であるという「幻想」の魔法の下にあった。 角栄(18)魔法がとけて見ると、田中角栄さんのことが気になり始めた。あの一連の出来事は、一体何だったのだろう? あの一切の異論、反論を許さないような報道の嵐の中で、本当に「正義」はなされたのか? 田中角栄さんは、マスコミが描こうとしたような、極悪人だったのか? 角栄(19)田中角栄さんの問題は、日本人が未解決のまま抱えている宿題だと思う。あれほど功績のあった人、卓越した人を、マスコミがヒステリーじみたキャンペーンで、葬りさった。その狂乱の本質は何だったのか、私たちは振り返り、整理すべき時期が来ている。 角栄(20)中国の人たちは、日本のマスコミのキャンペーンに踊らされなかった。日中関係の井戸を掘った偉人として、首脳が日本を訪れる度に、田中角栄氏を訪問した、今考えると、角栄という人物の本質を見ていたのは、マスコミだったのか、それとも中国の人たちだったのか? 角栄(21)自分たちに絶対的な正義があると思っている人たちは、うさんくさい。「闇将軍」などと揶揄する記事を匿名で書き飛ばしていた新聞記者たちと、田中角栄さんと、どちらが人間として興味深く、また誠実に生きていたのか、今となっては答えは明かであるように私には思える。 角栄(22)ニーチェは、人間の最悪の罪の一つとして「ルサンチマン」を挙げた。田中角栄氏をめぐる一方的な報道ぶりを振り返ると、そこには、新聞記者たちの、角栄さんに対するルサンチマンがあったと思えてならない。 角栄(23)そもそも、権力者を次々と犯罪者に仕立てるのは、未成熟な国の特徴である。すばらしい点の多々あるお隣の国、韓国はまた、元大統領が次々と刑事被告人に貶められる国でもある。一方、成熟した民主主義の国では、そのような極端な変動は、絶えて久しい。 角栄(24)成熟した英国流のカモン・センスから言えば、田中角栄氏の「犯罪」は、果たして、あれほどのヒステリックな断罪が行われるべきことだったのか、大いにあやしい。少なくとも、その功績とのバランスにおいて総合的に判断する、そのような知的態度は有り得たはずである。 角栄(25)私は、過去に遡って、田中角栄氏にあやまりたい。小学校から中学校という、世間知らずの年代だったとは言え、自らの正義を信じて疑わないマスコミのヒステリックな報道によって、「闇将軍」であり、「悪人」であるとたとえ一時期でも思ってしまったことに対して、心から謝罪したい。 角栄(26)今、こうやって振り返って思い出すのは、ロッキード事件の渦中にあった頃の田中角栄氏が時折見せていた、孤独でさびしそうな横顔である。あそこには、人間の真実があった。一方、居丈高に正義を振りかざしていたマスコミの様子を思い出すと、浅薄さといやしさの印象だけが強まってくる。 角栄(27)ロッキード事件が明るみに出たあとも、田中角栄氏は、新潟でトップ当選し続けた。マスコミは、新潟の選挙民の意識が低いなどと揶揄し続けた。今考えれば、人間としてまともだったのは、一体どちらだったのだろう。 角栄(28)人間は、過去を振り返り、反省することで、未来への指針を得ることができる。日本の国の将来を、小学生の学級会のような幼稚な「正義」で危うくしてはならない。今こそ、田中角栄さんをめぐる一連の事態は一体何だったのか、真剣に検討すべき時期が来ているのではないか。 以上、田中角栄氏に関しての連続ツイートでした。深夜、大変お騒がせしました。おやすみなさい。 http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/839.html より転載 #
by rena6180
| 2010-09-04 23:08
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日本一新の会 メルマガ配信(無限拡散希望・コピー自由)臨時増刊号・2010/08/23 ──────────────────────────── ◎「日本一新運動」の原点―11 日本一新の会・代表 平野 貞夫 坂本龍馬が北辰一刀流の思想である「妙見信仰」を学び、会得したなかに、「四観三元論」がある。 ものごとの本質を見極めて、判断・行動するというものだ。 これを応用し、国難の渦中にありながら、無責任にも迷走中の「民主党の本質」を論じてみたい。 「四観」とは、ものごとを、 1、「高観」高いところから観る、 2、「離観」離れたところから観る、 3、「影観」隠れたところから観る、 4、「光観」見えやすいところから観る、 により、客観的に観察・認識して本質を掴めという教えである。 「三元」とは、例えば「黒と白」とは絶対的対立ではなく、黒に光を強く当てると灰色となり、白に近づく。 「黒と白」をコントロールしているのは「光」であり、これをして「律」とか「中庸」という。 人間社会の諸問題は、「律」が何であるかを探しあてることにある、といっても過言ではない。 「律」とは、古代中国では「一筋の道」を意味し、和訓では「のり、さだめ、おきて」を意味する。 さらに、説文解字には「均しく布くなり」とあり、特別の意味を持つ漢字であることも付記しておこう。 (民主党と自由党合併の真相と苦難の道)現在の民主党混迷の原因は、民・由合併時の原点にあることから、まずはそこを検証しておきたい。 平成14年11月、当時の鳩山代表が提唱した合併の提案には、「国家と国民のため」という崇高な思想があった。 自由党の小沢党首は、その心意気に感じ、無条件で了承したが、肝心の民主党内がまとまらず失敗し、鳩山代表辞任の引き金となった。 その後、菅代表となって合併協議を引き継いだが、議論は進化せず、平成15年5月に協議の打ち切りとなった。 菅代表には、鳩山氏が有していた「思想」の欠落があったからである。 一方の自由党は、6月に入ってから民主党との合併は行わないと決し、秋にも予定されている総選挙と、翌年の参議院選挙を自由党独自で戦うべく、候補者擁立などの準備に入った。 ところが同年七月中旬、菅代表が唐突にも自由党との合併話を蒸し返してきたのだが、これには民主党内の複雑な内部抗争があり、今日の問題の原点はここにある。 当時、鳩山グループに所属していた合併派の友人から相談を受けたが、菅執行部と鳩山グループとの間に、党のあり方について深刻な意見の対立があったという。 合併に消極的な菅執行部を鳩山グループが激しく突き上げ、九月には民主党を離党して、自由党と合流したいとの動きが始まったというのだ。 これからは私の推測だが、菅代表はこの鳩山グループの動きを察し、機先を制して唐突に小沢自由党に合併協議を申し込んだのではないか。 菅代表と小沢党首の極秘会談は続き、7月二十三日深夜、民主党の条件を丸呑みして協議は成立した。 私は、菅代表が党内権力を維持することだけを目的とした合併話であることを知っていたから、この話には反対だった。 しかし、小沢党首は「このまま自公政権が続くと国民生活は崩壊する。 日本に与えられた時間はもう少ないのだ」と語り、「必ず民主党で政権交代をしてみせる」と宣言し、自由党内をまとめた。 民・由合併の時点で、鳩山と小沢の間では「自公政権を崩壊させ、国民生活を守る政権を創る」という基本戦略を共有していた。 しかし、当時から、民主党内には小泉政治に同調するネオ・コン派が暗躍しており、菅体制は党内派閥のバランスをとる「弥次郎兵衛」が実情であった。 その後、年金問題や郵政民営化などで党内外は紛糾する。 前原代表の就任で「小沢一郎の出番はない」といわれるようになった時、件の「偽メール事件」が勃発した。 急遽、小沢代表の登板と指導により、民主党は変貌し、小沢―鳩山―菅のトロイカ体制が組まれ、平成19年、「逆転の夏」と命名した参議院選挙を勝利し、政権交代への道筋を明らかにした。 先を急ぐことから、この間の経緯は端折るが、小沢代表の「政治とカネ」の問題はこの歴史の中から出てきたものである。 検察は、この約一年間、10億円を超える費用と多大な人員を駆使した西松事件の捜査も小沢本人を起訴するには至らなかった。 要するに、事件的要素はなかったのである。 問題となっている検察審査会への告発も、受理することが疑問視される人からのものであるといわれているし、小沢一郎を政界から排除することで既得権を維持しようとするのは、旧体制官僚や巨大メディアだけではないことは、民主党政権の閣僚たちが、小沢一郎の代表選出馬を阻止すべく、珍言暴言を繰り出していることからも明かであろう。 (民主党の党是に反する菅首相の言動!)6月4日に菅直人氏が代表に就任した民主党は、はたして議会主義政党であるのか否か、疑問を持つのは私一人ではないと思う。 昨夏、政権交代が実現できたのは、「官僚支配政治の改革」、「国民の生活が第一」の政治を行うことを国民に約束したからである。 菅首相はそれらの約束を反故にして、小泉政治の再現を連想させる弱肉強食の、ネオ・コン官僚政治を復活させた。 さらには「消費税10%増税を平成12年度中にも実施」と暴論を提起し、参議院選で惨敗した。 これらは先の政権交代で約束した党の基本方針に明らかに違反している。 政党運営の基本に照らせば、明らかな党規違反であり、菅代表・枝野幹事長・玄葉政調会長は党紀委員会に提訴され、その責任を追及されるべき立場にある。 政党のよって立つべき基本方針や党是が、いとも簡単に反故にされ、遵守されないようではその政党に信頼は生まれないし、そしてまた将来性もないことは自明である。 自衛隊、日米安保違憲を党是としていた日本社会党が、自社さ野合政権のために党内論議も経ずして、一夜にして党是を変更し、その2年後に崩壊したのは記憶に新しいし、この歴史的事実を、民主党に所属するすべての議員諸氏は忘れてはならない。 同時に、9月14日に行われる民主党代表選は、民主党の党是に反した菅代表の責任を問うことが最重要課題であることを、党員・サポーターの皆さんも、深く心にとどめて欲しいと切望する。 http://sun.ap.teacup.com/souun/3199.html より転載 #
by rena6180
| 2010-08-25 15:57
| まつりごと
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菅首相は相変わらず、消費税発言と同じようにその場その場で後先を考えないで、政権の屋台骨に関わる発言を新人との懇談会の場で話している。 菅氏は新人1年生に選挙を任期いっぱいの3年後まで行わないと話したそうである。だから何とか自分に投票してほしいと言っているらしい。式紙まで渡していいるらしい。 何と言う「あさましさ」であろうか?それほどまでに権力亡者になったのか?みんな党の渡辺代表が、首相の最も大切な伝家の宝刀である「解散権」を自分への投票のため、あっさりと封印するするとはどこまでまぬけだと言っている。 国家100年を思って、私信を捨てて国家、国民に滅私奉公する覚悟が全く感じられない。はやくやめろと言いたい。 今日(25日)、小沢氏が小沢塾で出馬するかどうか述べるのではないと注目されている。この記事を読まれるころには結論が出ているかもしれない。昨夜、鳩山氏が小沢氏と菅氏の中を持って以下のような動きをやっているらしい。 どうなる「鳩山仲介」幹事長ポストを焦点に、小沢氏「困ったなあ」側近にも賛否 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100825/stt1008250138002-n1.htm 2010.8.25 01:35 9月の民主党代表選をめぐり、鳩山由紀夫前首相が24日、菅直人首相と小沢一郎前幹事長の「仲介」に入った。27日の出馬会見を前に、小沢氏の出馬を回避し、再選を確実にしたい首相。自身の出馬についてなお迷う小沢氏。2人とも直接対決の政治的危険性を認識し始めた。だが小沢氏が代表選に向けた「基本政策の策定」に着手したことも24日、明らかになった。小沢陣営には主戦論が残っており、双方とも、まだ和戦両様の構えだ。(榊原智、佐々木美恵) 正直言って、この調整を小沢氏が受け、しゃんしゃんと手打ちをしたら、小沢氏を今まで支持してきた多くの支持者は離れてしまうだろう。上記に述べたように菅氏のような権力亡者を首相にしておくために小沢氏に期待しているのではない。自分の権力の座を保持したいがための首相には国民は何の興味もないし、かえってそのままにしておいたら国を滅ぼす。 過去15年ぶりに83円/ドルの円高になった。この円高は野田大臣、荒井大臣のただ「注意深く見守る」とバカと答弁を繰り返すだけの会見が引き起こした。民主党を支持してきた国民もあきれ果てているだろう。本当にオコチャマ内閣である。 小沢さんに言いたい。上記のようなことをやったら、35万人の党員、サポーターからも見放されるだろうと。私自身も国を思って小沢氏しかいないとの信念で一生懸命、この拙いブログで訴えている。その気持ちに賛同して頂ける方のお陰でブログランキングも大幅に上がっている。別に誇るのではなく、如何に多くの人が同じ気持ちを共有して頂いているかを言いたい。 小沢氏の今回の出馬について西岡参議院議長が以下のように述べていることが朝日新聞に報道された。 代表選後の人事「挙党一致は茶番劇」西岡参院議長が批判 http://www.asahi.com/politics/update/0823/TKY201008230431.html 西岡武夫参院議長は23日、国会内で記者会見し、9月の民主党代表選後に敗れた候補者を党の要職や閣僚ポストで処遇することについて「挙党一致でも何でもない、茶番劇である」と批判した。 西岡氏は現職首相の対抗馬として立候補することには「相当の覚悟が必要。現政権の理念と基本政策に異論を唱えるからには、党を去ることも選択肢に入る」と指摘。そのうえで代表選後の人事で党内融和を図ることを「政権党が甘っちょろい党内の陳腐な就職運動劇をしている余裕は断じてない」と強調した。 西岡氏は18日の朝日新聞のインタビューで「小沢さんが代表選で戦ってしまうというのがすっきりしている」と述べ、小沢一郎前幹事長の立候補を求めた。ただ、この日の会見では「小沢さんがどうだということではない」と一般論であるとした。一方、自らは参院議長として参院民主党会派を離脱中であることを理由に、「(代表選では)投票しない」と明言した。 これを読むと、小沢氏は負けたら党を出るぐらいの覚悟がないなら「出るな」と読めたが、腑に落ちなくいろいろ調べたら、以下の記事が西岡氏の本当の真意を伝えている。 小沢前幹事長は代表選出馬を~西岡参院議長 http://www.news24.jp/articles/2010/08/24/04165321.html 参議院・西岡武夫議長は23日、日本テレビの単独インタビューに応じ、来月の民主党代表選挙に小沢一郎前幹事長が出馬すべきとの考えを示した。現職の議長が党の代表選挙に言及するのは極めて異例。 西岡氏「議長という立場ですから、なるべく客観的でないといけないんですけど。客観的に見ても、小沢さんという政治家が、もうご自身でケリをつけるべきだと思う」 自民党時代から小沢氏と20年以上の親交がある西岡氏は、小沢氏が出馬すべきという理由について、「(小沢氏は)きちんとやっぱり自分自身で政権を担当して、今までにですよ、これをやりたいということを明確に打ち出すべきではなかったか。良くも悪くも小沢一郎という人物に、常にスポットライトを当てられるわけですね。その当てられる責任も小沢さんにはあると思う」と述べた。 現職の議長が出身政党のトップを選ぶ選挙に言及するのは極めて異例で、発言は波紋を広げそうだ。 上記を読むと、昨日鳩山氏が両者を調整するようなことをしないで、はっきり政策で議論して、その政策の議論で負けたなら、党を割って別々の道を歩けと言っている。朝日新聞はやはりと言うか西岡氏の本当の真意を伝えていない。 私も西岡氏の意見に全く同感である。小沢氏が菅氏と政策論で競った結果、民主党議員及び党員・サポーターからの投票で小沢氏が負ければ、やはり現在の民主党は私の支持する民主党でないので小沢氏についていく。その方がよほどすっきりする。これは現在の民主党の基本路線を決める総選挙である。小沢氏が勝てば、菅氏をはじめとする他の議員は去るのもいいし、小沢氏に従えばいい。 小沢氏の責任は、今のような問題を内蔵したままの民主党を残すためのそんな小さいものではない。今のままの菅氏グループのごたごたした民主党なら潰れてもいい。 今沈み行く日本を若い世代、今まで頑張ってきた世代が希望の持てる社会、つまり「生活が第一」の社会へ持っていくことであり、小沢氏の政治生命の総決算と思う。 http://31634308.at.webry.info/201008/article_23.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+at%2Fwebry%2Finfo+%28*.at.webry.info+Feed%29 より転載了 #
by rena6180
| 2010-08-25 11:07
| まつりごと
小沢一郎氏談
今・・民主党政権に対しては、国民の皆様から大変厳しい視線が向けられていますが、 今こそ!「国民生活が第一」 の政治を実現するという、 政権交代の原点に立ち返るべきではないでしょうか。 自民党政権における、国民生活をないがしろにするような政治ではなく、 国民一人一人の暮らしを守る政治へと変えて欲しい。 それが、多くの皆様の願いであり、 その新しい政治への希望が、昨夏、民主党政権を誕生させてくださいました。 官僚主導の政治を打破し! 国民が主役の政治を確立する! 今一度、皆様にお約束をし・・今度こそ、その実現のため 民主党一丸となり、全力で取り組んでいけば、再び国民の皆様から 多くのご期待を頂戴することが出来るものと確信しております・・。 #
by rena6180
| 2010-08-21 21:54
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